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【ピアノ演奏温故知新】第15回イグナツ・フリードマン

更新日:2022年7月6日

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第15回は超が付く名手揃いのレシェティツキ門下でも俊英『イグナツ・フリードマン』をご紹介します。



イグナツ・フリードマン(1882~1948)

フリードマン
 

略歴

1882年ポーランドのクラクフ近郊ポトゴルチェに生まれる。クラクフのフローラ・グルジヴィンスカの下でピアノの手ほどきを受ける。

1901年ウィーンで名門テオドール・レシェティツキの門下に入る。作曲をグイード・アードラーに習う。

1904年ウィーンでデビュー後国際的な活動を開始。40年間で2800回以上のコンサートを行った。1933年には来日も果たしている。

第2次世界大戦が勃発するとヨーロッパを離れオーストラリアのシドニーへ移った。

1943年左手に神経炎を患い演奏活動を引退。

1948年の『オーストラリアの日』にシドニーで亡くなる。(享年65歳)

 

フリードマンの代名詞ショパンのマズルカ

ショパン:マズルカ Op.24-4 & Op.33-4

 

演奏スタイル

フリードマンの演奏はなんといってもその天衣無縫な歌にあるだろう。フリードマンの手にかかるとショパンのマズルカ一つ一つがはつらつとしたリズムと美しい歌をまといなんと魅力的な作品に生まれ変わることだろう。自由で闊達なリズムと軽妙で魅力的な音、そして安定したテクニックとロマン派音楽を弾くのに必要な全てを兼ね備えている。

レパートリーは古典派の作品とショパンを核にロマン派作品が中心で同時代の作曲家の作品はほとんど録音に遺しませんでした。少数ながら魅力的な自作自演の録音も遺しています。

 

フリードマンの奇跡的名演

ショパン:ノクターン 第16番 Op.55-2

 

同時代の人物による評価

ベンノ・モイセイヴィチ(ピアニスト)

『彼のようにマズルカを弾けるものはひとりもいなかった。彼はローゼンタールやラフマニノフに匹敵する数少ないピアニストの一人である。』


ハロルド・ショーンバーグ(評論家)

『彼のスタイルは完全に彼独自のものであり、それは信じられないほどのテクニック、エキセントリックと呼ばれることもある自由な音楽、舞い踊るような音色、そしてショパンのマズルカを叙事詩のように聞かせる非常にダイナミックで大きく自然なアプローチ。彼は旋律を比類のない美しさで歌わせ、ベースは巧みに輪郭を描き、たるむことを決して許さず、常に独特の緩急やアクセントによって興味をわきたてました。彼のスケールの大きな演奏は深い思考から生まれたものです。フリードマンは象徴的でした。それは強力で、変わった、独創的なピアニストで、時には不安定ですが、常に魅力的で、想像力と大胆さに満ちていました。』


ミルトン・デットジェン(フリードマンの弟子)

私はこれまで、ヨゼフ・ホフマンとセルゲイ・ラフマニノフ、イグナツィ・パデレフスキー(3回)、オシップ・ガブリロヴィッチ、ギオマール・ノヴァエス、パーシー・グレインジャー、ミッシャ・レヴィツキーを何度か聴いていましたが、フリードマンのような演奏は聴いたことがありませんでした。ピアニッシモの音色の明瞭さ、そして雷鳴のクレッシェンドと非常に色彩豊かな音色、すべて軽々と演奏してみせました。手を大きく投げたり、体を揺り動かしたりすることは最小限です。彼はショパンの黒鍵のエチュードの最後の部分をオクターブグリッサンドで演奏し、聴衆は息を呑んだのです。こんなにワクワクしたことは一度もありませんでした。その時私は彼の下で学ばなくてはいけないと確信しました。』


フリードマンの格言

『リズムは音楽の命。そして音色は血と肉である。どちらが欠けても、およそ芸術というものは死んでしまう。』

 

フリードマンの妙技が冴えわたる十八番

リスト=ブゾーニ=フリードマン:ラ・カンパネラ

 

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