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【ピアノ演奏温故知新】第25回マリア・ユーディナ

更新日:2022年11月30日

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第25回は数多い旧ソ連のピアニストのなかでも特異な存在として人気を集める『マリア・ユーディナ』をご紹介します。



マリア・ユーディナ(1899~1970)

シュナーベル
 

略歴

1899年ロシアの西端ヴィーテプスク県(現プスコフ州)のネーヴェリに誕生する

1905年アントン・ルビンシテインの弟子であったフリーダ・テイテルバウム=レヴィンソンのもとでピアノの勉強を開始。

1912年にサンクトペテルブルク音楽院に入学。テオドール・レシェティツキの弟子で元妻でもあるアンナ・エシポワに師事する。

1913年初リサイタルを開催

1914年ユージナのピアノの師、アンナ・エシポワが死去、後任はヴラジーミル・ドロズドフで、その後、親指を負傷して休学する1918年までフェリックス・ブリューメンフェルトに師事。

1920年1918年に負傷した親指が癒えたユージナは、レニングラードに戻り、音楽院に復帰する。レオニード・ニコラーエフに師事する。同門にはソフロニツキーとショスタコービッチがいた。

1921年ユージナはレニングラード音楽院を卒業。ソフロニツキーとともにアントン・ルビンシテイン賞の金メダルが授与され、レニングラード音楽院で教職に就く。

1930年ユージナはソ連政府による憲法改正を批判する文章を新聞に掲載、レニングラード音楽院の教授職を解雇される。

1932年グルジアのトビリシ音楽院大学院で講師の職を獲得する。

1934年ゲンリヒ・ネイガウスの推薦によりモスクワ音楽院の教授に就任。(1951年まで)

1939年ユーディナの婚約者、キリル・サルティコフが登山事故のため25歳で死去。ユーディナは彼の母親の面倒も見、生涯独身を貫く。 1960年レニングラードで開催した演奏会で、反体制作家パステルナークの詩を朗読し、グネーシン研究所(現グネーシン国立音楽大学)を解雇される。 1960年ハバロフスクなどを回る極東ツアーの際に講演を実施する。ストラヴィンスキー、ヒンデミット、シュトックハウゼンなど禁止された作曲家を称え、ショスタコーヴィチやハチャトゥリアン、スヴィリードフには言及しなかったことを問題視した音楽関係者が、当局に30人分の署名入りの非難文書を送り、ユーディナはフィルハーモニー協会主催演奏会への出演禁止処分を受ける。 1969年モスクワでリサイタル。翌月に怪我をしたためこれが最後の公開演奏会となる。

1970年急性の糖尿病により昏睡に陥りモスクワで死去(享年71歳)

 

事故により若くして亡くなったユーディナの婚約者が遺した作品

モーツァルト=サルティコワ:レクイエムより『ラクリモサ(涙の日)』

 

演奏スタイル

恐らくロシアだけに留まらず世界中のピアニストの中でも最も異質な芸術家の一人と言えるユーディナ。その演奏スタイルの根幹にあるのは確かにロシアの流派ではあるのだが生まれてくる音楽は異様な光彩を放っています。時に敬虔なほど厳かで美しく演奏するかと思いきや悪魔的にグロテスクで激しい演奏までその振れ幅がすさまじく、現代の個性派と言われるすべてのピアニストが可愛くお行儀よく感じられるほどです。 作曲家の意志ではなく自分の意志と感性に実直に向き合ったその演奏はまさにユーディナの音楽と呼ぶにふさわしいものである。その演奏は熱狂的な好意か絶対的な嫌悪のどちらかへと隔たれると思われるがどちらにしてもユーディナの演奏を聴いて退屈を感じることは絶対にないだろう。 レパートリーは他のロシア人ピアニスト同様大変広い。特筆すべきは当時ロシア国内で演奏が禁じられていたクルシェネクやヒンデミット等の現代音楽を積極的に演奏、録音をしました。しかしながら一般的なロシア人ピアニストと異なりラフマニノフやスクリャービンなどはほとんど弾かず、ショパンに関しても録音は一つも遺されていません。

 

リヒテルが『天才的な演奏』と讃えたユーディナの演奏

リスト:バッハのカンタータ『泣き、歎き、憂い、怯え』の主題による変奏曲

 

同時代の人物による評価


スヴャトスラフ・リヒテル(ピアニスト)

私の人生において、太陽のように崇めるピアニストは3人いた。ソフロニツキー、ネイガウス、そしてユーディナだ!ユーディナは常識を逸脱し尋常ならぬ芸術家。


レオニード・ニコラーエフ(ピアニスト)

『彼女の弾く4声のフーガを聴きたまえ。どの声部にもそれぞれ独自の音色がある。』

ゲンリヒ・ネイガウス(ピアニスト)

『自分を自己肯定して、強い意識的な独自性を持ち、作曲家を自分に似せて作り替えるような演奏家がいます、このようであった例を挙げればブゾーニやユーディナがそうでした。』


ドミトリ・ショスタコーヴィチ(作曲家)

『ユーディナはどんな曲を弾いても「ほかの人とは違う」ものになる。大勢の男女の崇拝者たちはそれに気も狂わんばかりに惚れ込んでいた、演奏する作品になにか独特な、きわめて哲学的な態度で接近していると思われていた。』

 

現代音楽の擁護者だったユーディナによる同時代の作品

ショスタコーヴィチ:ピアノ・ソナタ 第2番 作品61

 

関連商品紹介

・現在ユーディナのCD等は入手困難になっています。

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