モデル名:ザイラー モデル名 不明(130㎝)
製造年:1934年製
製造国:ドイツ(現ポーランド) リークニッツ製
張弦方法:通常張弦
フロント側:低音側 ベアリング、中音~高音部 プレッシャーバー
ピン仕様:総鉄骨フレーム
アクション仕様:イギリス式アクション(レンナー社製)
ペダル:2本
鍵盤:88鍵(白鍵:プラスチック 黒鍵:黒檀 )
外装:黒艶消し(修復外装)
今回は初登場のメーカーになるザイラーのアップライトピアノを収録してきました。
まずはザイラーについての解説を。
ED.ザイラーは1849年エドワード・ザイラーによって当時ドイツ領であったリークニッツ市にて手作りピアノを製作したことから始まります。
1872年にはその品質が認められモスクワにて金メダルを受賞します。1873年には蒸気機械による大規模な工場を建設すると、翌年には100人以上の従業員が働き始めました。
しかし1875年秋には創業者エドワードは亡くなります。
その後息子のパウロとマックスが会社を引き継ぐも1879年に若くして亡くなってしまいます。パウロとマックスが経営をしている間、弟のヨハネス・ザイラーがピアノ製作の修行を積みます。父エドワードの工場で得た知識に加え、国内外を旅をして経験と知識を獲得しました。その結果ヨハネスが1879年末に120人のピアノ職人を抱える製造所を引き継ぎました。また彼の義兄であるアウグスト・ローターバッハとオズワルド・カシグが商業マネージャーとして事業に加わり会社をドイツ有数のピアノメーカーへと発展させました。
1923年ヨハネスの娘婿のアントン・ザイラー・デューツが事業を引き継ぎ、発展し続けたザイラーピアノはウィーン、アムステルダム、メルボルン、シカゴ、ベルリン、ミラノなどで、数々の賞を受賞するにつれ、その名声は世界中に知れ渡るようになりました。この頃には、すでに従業員の数は430人を超え、ドイツ東部で最大のピアノ工場になりました。
1945年、第二次世界大戦によって工場と共に故郷をも失い、4代目シュテファン・ザイラーは再興に努め、まずデンマークにおいて、伝統にそったピアノの製造を始めましたが、1957年に再びドイツで製造できるようになり、1961年にはバイエルン州のキッツィンゲン市に新しい拠点を構えました。
1998 年にシュテフェン ザイラー氏が急逝し、妻のウルスラ氏が経営を引き継ぎました。しかし経営はうまく立ち行かず2008年に韓国のサミックに買収され今にいたります。
買収後もザイラーは最高級モデルであるザイラーのみドイツで製造を行っているがEDザイラー及びヨハネスザイラーの両ブランドはインドネシア製となっている。
今回収録した楽器は正真正銘のリークニッツ製のザイラーになります。非常に凝った外装デザインの多いザイラーですが今回の一台は割とシンプルな一台になっております。
この年式のエントリーモデルのザイラーとしては珍しく88鍵になって直ぐ頃の一台かと思われます。小さなレリーフや神殿脚などさり気ない装飾が品のある雰囲気を醸し出しています。弾いてみた印象は非常にドイツピアノらしい暖かく伸びのある音になっておりドイツピアノの中道を行くような音色になっています。オーバーホールしたてで慣らし中ということもあり弾いているそばから楽器が鳴ってくるのが感じられます。アクションもコントロール性も良く箱が良くなるので感触以上に弾き易く感じます。
ハンマーも新品なのでこれからどんな変化をするのか非常に楽しみな一台です。
パッと見た感じオシャレなレリーフが目に付く。当時の一般用アップライトとしては中型のモデルになる。
非常にシンプルなザイラーのロゴマーク。Sが微妙に歪んでいるのはご愛嬌。
非常にシンプルな外装に対して非常に派手な鉄骨。
皇室、王室御用達、はたまた博覧会での受賞メダルをデザインされた鉄骨フレーム。メダル左には『プロイセン国家勲章1906』とデザインされている。
右側にゴールドメダルを受賞した博覧会開催地が記されている。ここのデザインはピアノが製造された年代によって微妙に異なる。一番上にあるTokioは1922年に上野で開催された『平和記念東京博覧会』のもの。
巻き線が一本張りで中音域以上は通常調弦の一般的なもの。鉄骨や駒など下面にザイラー特有の設計を見つけることはできなかった。
レンナー社50周年を示すステッカーが貼られている。製造番号が消失してしまっているような楽器でもこういった細かな物から製造年代の特定に役立つ。
アクションも一般的な物。まだオーバーホール後の弾き込みも足りていないのでこれから馴染んでいくと思われる。
簡素ながら洒落た神殿脚がおごられている。ザイラーは調べてみてもかなり多様なデザインのピアノを見つけることができる。
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