【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。
第26回はフランス近代音楽の第一人者で優れた教育者でもあった『マルグリット・ロン』をご紹介します。
マルグリット・ロン(1874~1966)
略歴
1874年フランスの南部のガール県ニームに誕生する。
1879年8歳年長の姉クレールのもとでピアノの勉強を開始。
1883年ニーム音楽院に入学。姉クレールのクラスで学ぶ。
1886年ニーム音楽院でアントワーヌ=フランソワ・マルモンテルに師事したシャルル=アメデー・マジェのクラスに所属。のちにマルモンテルの息子、アントナン・マルモンテルに師事。
1889年パリ音楽院のシェネ夫人のクラスに入り、年度末に一等賞を獲得。
1891年パリ音楽院を一等賞で卒業。
1893年最初のソロ・リサイタルを、パリの小ホール、プレイエル・ウォルフで開催。
1906年音楽学者のジョゼフ・ド・マルリアーヴと結婚。パリ音楽院で教職に就く。
1914年夫、マルリアーヴが戦死。ショックにより演奏から遠ざかる。ドビュッシーと交流が始まり以後、作曲家の死の年までドビュッシー作品の演奏に関して直接指導を受ける。
1917年病床にあるドビュッシーの説得により演奏活動を再開する。 1919年自身の学校を設立。生徒にジャン・ドワイアン、ジャック・フェヴリエらの名も。 1920年パリ音楽院、ルイ・ディエメの後任としてピアノ科教授に就任。 1921年エコール・ノルマル音楽院の教師として契約。
1940年パリ音楽院、ピアノ科教授退任。
1943年ジャック・ティボーとともに「ロン=ティボー国際ピアノ・ヴァイオリン・コンクール」を設立。
1955年モスクワ音楽院より名誉教授の称号を授与。
1959年演奏活動より引退。
1966年パリの自宅で死去。(享年92歳)
フォーレ本人が認めた演奏
フォーレ:ノクターン 第4番 変ホ長調 作品36
演奏スタイル
優れたピアニストで教育者であったロンはよく同僚のコルトーと比較されますがロマン的なコルトーに対してより端正な演奏スタイルで現代の演奏スタイルにより近く感じます。 甘さと演奏のキレが絶妙のバランスで表現されています。さらに作曲家の遺した楽譜の音を金言とし演奏者都合の変更を一切許さない姿勢は当時としてはかなりモダンな演奏様式を持った一人だったと思われます。特にその原点主義な姿勢はフランス近代作曲家から称賛されフォーレやラヴェル等から作品の献呈や初演を受けることになっています。 レパートリーはフォーレ、ドビュッシー、ラヴェル等の同時代のフランス作曲家を中心にショパンやバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン等幅広いレパートリーを誇ったようです。しかし録音ではその一部しか窺い知ることができません、特に晩年のドビュッシーから直接指導を受けた作品群の録音が遺されなかったことはとても残念に思います。
晩年のドビュッシー本人に教えを受けたロンのドビュッシー
ドビュッシー:2つのアラベスク
同時代の人物による評価
ガブリエル・フォーレ(作曲家)
『彼女より素晴らしいテクニック、明瞭さと味わい、魅力的で自然な素朴さ、加えてこれ以上の輝かしい成功を収める演奏家はいないだろう。』
クロード・ドビュッシー(作曲家)
『わたしがこの世にいなくなった時に、わたしの思っていたことを正しく知っているものがのこることになる。』
エミール・ヴイエルモズ(作曲家・音楽評論家)
『ドビュッシーの【雨の庭】の演奏についてマルグリット・ロンにもっともなところがあるそして速さも妥当なものだ。彼女はドビュッシーと一緒にこの曲を勉強したのだ。彼女の側で、ドビュッシーが聴いていて、ニュアンスを指摘し、響きを正確にし、彼女の弾奏を自分と同じものにしようと指導していた、あの飛ぶように速く過ぎた時間を、彼女が思い出す権利が無いだろうか。』
ロンの弟子
フランスピアニズムを体現するロンのショパン
ショパン:幻想即興曲 作品66
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