【《ピアノを聴く動画》使用ピアノ紹介】第42回N.ヤマハ(アップライト)

更新日:9月5日

データ

モデル名:N.ヤマハ モデル名 R型(125cm)

製造年:1930年製 4月23日製作

製造国:浜松製

張弦方法:通常張弦 

フロント側:低音 ベアリング、中音~高音 プレッシャーバー

ピン仕様:総鉄骨

アクション仕様:イギリス式アクション(レンナー社製)

ペダル:2本

鍵盤:88鍵(白鍵:修復アクリル  黒鍵:黒檀 )

外装:黒艶修復外装 樺材使用

動画URL:https://youtu.be/7GfkLsftxEA(2021年9月1日公開)

撮影協力:ピアノプラザ群馬様 https://www.pianoplaza.com/



今回は僅か4年間しか作られなかった国産ピアノ史でも最も稀少な楽器であるN.ヤマハを収録してきました。

1927年の有名なヤマハの労働争議の際、山葉直吉が退職をし1928年にヤマハピアノ研究所を設立。その後直吉を慕う大橋幡岩もヤマハを退職する、技術を買われた尾島一二、田中喜三郎、鈴木嘉太郎等がヤマハピアノ研究所に集い作られたピアノが今回のN.ヤマハです。

このピアノを語る上で非常に重要になってくるのが山葉直吉と大橋幡岩の両名です。山葉直吉(旧姓尾島)はヤマハ創業者である山葉寅楠の一番弟子であり、後に寅楠の姪の婿となり山葉姓をを名乗ることとなります。優れた技術者でありながらその優れた仁徳から大橋幡岩を筆頭に多くの技術者を育てヤマハピアノの礎を築いたヤマハの歴史を語る上で欠かせない人物となっています。そして直吉の弟子でありN.ヤマハの設計者であり大橋ピアノの創業者である大橋幡岩については今さら多くを語る必要がない程有名な名工となる。このN.ヤマハが大橋の設計した最初期の楽器になります。

そんな二人とそのもとに集った少数精鋭の職人たちが小さな工場で作り上げたのがN.ヤマハになります。当時最高峰の技術者たちが量産品ではない本物の楽器として作ったピアノですから一号機発表時からその注目度は非常に高く楽器が完成する前から買い手が付くほどだったようです。結局、1929年には当時のヤマハ社長である川上嘉一が懇願する形で山葉直吉がヤマハへと復帰したことにより1931年には大橋幡岩もヤマハに復帰。結局ヤマハピアノ研究所は僅か1年間で事実上終了となった。生産自体も1929年~1932年までのわずか4年間で34台が製作されました。大橋幡岩の製作手記によると一台ごとに改良や部品、設計が試行錯誤がされており各々が微妙に異なっており一台として同じピアノがありません。

今回の楽器は製造番号11の1930年製のR型になります。R型は34台中の30台が作られたモデルでこのピアノがヤマハ復帰後にこの楽器の設計をもとにヤマハの竪型100号を作りヤマハピアノのU2型の原型となります。

楽器は非常に柔和で低音側の音の伸びが素晴らしい印象を受けました。高音側の調律が大きく狂っていたので正当な評価を下すのは難しいですが初期型の以前弾いたディアパソンと共通の音作りを感じます。

レンナー製のアクションは新品ハンマーと季節柄のせいか若干の重さを感じますが整備次第で軽快な弾き心地を取り戻す雰囲気を感じます。

貴重な楽器を短い時間でしたが存分に楽しませていただきました。


Nヤマハ

上前板の装飾以外は非常にオーソドックスな造り。大橋幡岩の手記によると樺材を使用し塗り直されてはいるがオリジナルも黒塗りであった。


Nヤマハ

当時の宮大工が仕上げた装飾が奢られた外装。モールや透かし等が手造りピアノの雰囲気を強く感じることができる。


Nヤマハ

いたってオーソドックスな設計。これが後のヤマハ竪型100号へと受け継がれていく。


Nヤマハ

ヒッチピン側。こちらも非常にオーソドックスな設計。


Nヤマハ

レンナー製のアクション。ハンマーは新品に交換されているがオリジナルでは色々な種類のハンマーが選択されていた。


Nヤマハ

R型の刻印。他にたった4台だけ作られたB型が存在するが現存しているかは不明。


Nヤマハ

N.ヤマハの銘板。先にも後にもヤマハが自社以外のピアノにヤマハを名乗ることを許した唯一のメーカー。その点からも山葉直吉がいかに重要な人物であったかが分かる。

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