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【ピアノ演奏温故知新】第10回レオポルド・ゴドフスキー

執筆者の写真: 西野 智也西野 智也

更新日:2021年8月24日

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第10回はピアノ演奏のブッダと言われ多くのピアニスト達から敬われていた『レオポルド・ゴドフスキー』をご紹介します。



レオポルド・ゴドフスキー(1870~1938)

ルービンシュタイン
 

略歴

1870年リトアニアのヴィルノ近郊のソシュリに生まれる。

9歳の時に公開コンサートに出演。

1884年にベルリン音楽学校でエルンスト・ルドルフに習うも3ヶ月で辞退。ピアノ演奏に関しては独学であった。

1890年ニューヨーク音楽大学で教鞭を執る。同年フリーダ・サックスと結婚をしてアメリカの市民権を得る。

1894年からフィラデルフィアのブロードストリート音楽院で教える。

1895年シカゴ音楽院に移動ピアノ科代表を務める。

1909年から1914年までウィーン音楽院でマスタークラスを受け持つ。

1914年第1次世界大戦が勃発しニューヨークへ戻りその後アメリカに永住。

1918年終戦とともに活動を再開。

1930年ショパンのスケルツォ第4番をロンドンで収録直後に脳卒中で倒れる。一命はとりとめたものの演奏家としてのキャリアにピリオドを打ち作曲活動に専念する。

1932年に息子の自殺、1933年に妻が死亡したことにより作曲活動もやめてしまう。

1938年胃がんのためニューヨークで死去(享年68歳)

 

ゴドフスキーの妙技

リスト:ラ・カンパネラ

 

演奏スタイル

ゴドフスキーの特徴はまずなんと言っても完成されたテクニックにあります。多声音楽を巧みに処理しまるで複数人が連弾しているような感覚になる程素晴らしいものです。

19世紀の後期ロマン派様式の演奏スタイルが骨組みとしてありますが基本は非常に楽譜に忠実に演奏しています。時折見せるカデンツァや装飾パッセージでの変奏に19世紀の様式を見出すことができます。

当時の証言からもゴドフスキーは極度のあがり症だったようで録音やライブでは真価を発揮できず自宅で友人たちを前にリラックスして弾いた時には奇跡的な演奏を繰り広げたようです。それ故に遺された録音からはゴドフスキーの本来の姿を望むのは非常に難しいかもしれません。しかしそれでも非常に洗練された趣味と類い稀なテクニックを持っていたことは十分に理解することができると思います。

レパートリーは幅広く同時代の作曲家の作品も熱心に演奏しました。録音嫌いであったこともあり基本的に小品の録音ばかりですが録数こそ少ないですが大曲も遺しています。しかし残念なことに自作の作品はほとんど録音を遺しませんでした。

 

ゴドフスキーの自作自演

シューベルト=ゴドフスキー:おやすみ、朝の挨拶

 

同時代の人物による評価

ヨーゼフ・ホフマン(ピアニスト)

『今夜聴いたことを絶対に忘れないように、あの音色の記憶を決してなくさないようにしなさい。この世にふたつとないものなのだから。』


ハロルド・ショーンバーグ(音楽評論家)

『自由に独立して動く手、粒のそろった指の動き、ポリフォニックな流れの巧みな扱い、そして全体のピアニスティックな仕上げ、こういった点に関してゴドフスキーは、鍵盤音楽演奏の歴史のなかでも他に例のない独自の存在であると言えるだろう。』


ゲンリヒ・ネイガウス(ピアニスト)

『非常な簡潔さと軽快さ、柔軟性、理論性をもって、そして私が<賢明さをもって>と呼びたくなるような弾き方で、超アクロバット的な課題を弾きこなすさまを眺めるのも素晴らしいことでした。その主たる印象は、すべてが驚くほど簡潔で、自然で、美しく、さりげないということでした。』


ゴドフスキーの弟子

ゲンリヒ・ネイガウス、デーヴィッド・サパートン、ホルヘ・ボレットetc...

 

ゴドフスキーの最後の録音、これを録った直後に脳卒中で倒れた

ショパン:スケルツォ 第4番 作品54

 

関連商品紹介

残念ながら現在簡単に入手できるゴドフスキーの音源はありません。

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