【ピアノ演奏温故知新】第19回ヴァルター・ギーゼキング

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第19回はドビュッシーやラヴェルといったフランス音楽の先導的ピアニスト『ヴァルター・ギーゼキング』をご紹介します。



ヴァルター・ギーゼキング(1895~1956)

ルービンシュタイン

略歴

1895年フランスのリヨンにドイツ人の両親のもとに生まれる。

1899年にピアノに興味を持ち独学で学び始めた。

1911年ハノーファー音楽院でカール・ライマーにピアノを習う。

1920年にベルリンでデビューする。

1926年アメリカデビュー。

第二次大戦中にドイツ国内で演奏活動を継続したことでナチス協力者の嫌疑をかけられる。

1953年に嫌疑が晴らされアメリカでの演奏に復帰。

1956年ミュンヘンで最後のコンサートを行う。同年ロンドンでレコーディング中に倒れ病院に運ばれ緊急手術を受けるも亡くなる。(享年60歳)

ギーゼキングの名編曲の自演

R.シュトラウス=ギーゼキング:セレナーデ Op.17-2&親しき幻影 Op.48-1

(使用ピアノはグロトリアン=シュタインヴェグ、1927年録音の2曲のみ)

演奏スタイル

ギーゼキングの演奏は均整のとれた知性と情熱のバランス感覚の非常に優れたものになります。特に戦前の演奏にはその性格が強く淡々と紡がれる音楽になんともいえない温かな熱量を感じるものになっています。非常に優れた初見能力を持っておりどんなに難しい作品もその場でスラスラと音楽的に弾いてのけたようです。そんな初見力の弊害か晩年にはとても練習したとは思えないような演奏が遺されていたりもします。

レパートリーは代名詞ともなっているドビュッシーとラヴェル。そしてモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス等のドイツ音楽、その他ではショパンやグリーグがメインレパートリーとして遺されています。若い頃から積極的に同時代の作曲家も演奏していましたが残念ながら録音はほとんど遺されていません。

ギーゼキングが愛奏したグリーグ

グリーグ:トロルドハウゲンの婚礼 Op.65-6

同時代の人物による評価

ハロルド・ショーンバーグ(評論家)

『最盛期においては、彼ほど微妙な色彩を表現できる者はいなかった。ペダルのテクニックを見事に習得し、とくにハーフ・ペダルの効果については熟知していた。彼は一度たりとも汚い音を出さなかった。彼の演奏は純粋な透明感だけでも忘れられないものだったが、さらに優れた音楽性にもあふれていた。ギーゼキングはドビュッシーのPPPを弾くときに、いかに繊細であっても大ホールの隅まで届くようにコントロールした。彼はドビュッシーの音楽と完全に一体になることが出来た。ドビュッシーを弾くとき、彼はまさに自分の世界を作りあげたのである。


アレクサンダー・ベレシュ(評論家)

『万能のエドヴィン・フィッシャーをべつとして、たいていのピアニストがみずから選んで磨きあげた得意分野をもっている。そうしたスペシャリストの中でも最も驚嘆すべき存在で、専門分野の幅が最も狭いのがギーゼキングである。新進のフランス楽派(ドビュッシーやラヴェル等)の作品において、彼は音色、ダイナミクス、魔法のように湧き出る自由さと圧倒的な力をもつ表現力を駆使し、演奏のたびに気難しい聴き手をも屈服させてしまう。』


1920年10月23日のコンサートにおける『Vossische Zeitung』紙の批評

『まったく思いもかけぬ驚きだった。彼は比類のない完璧な技で演奏した。わたしはこれまでにいかなるピアニストもヴァルター・ギーゼキングほど魅惑的に、恍惚とするばかりの美しさでピアノを演奏したのを聴いたためしがない。


ギーゼキングの格言

ペダリングについて

『正しい指の技術が、指によってではなく頭によって習得されるものであるように、ペダルも足でではなく耳で踏まれるものだということである。どこで、いつ、ペダルを踏み、また離すのかを、いちいち考えたり記譜したりする必要のあるのは、修行の初期だけのことである。その後はペダルの使用に対しても、制御のよくきいた自動的な反応に到達していなければならない。』

第1曲:塔

第2曲:グラナダの夕べ & 第3曲:雨の庭

ギーゼキング最盛期のドビュッシー

ドビュッシー:版画

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