top of page
執筆者の写真西野 智也

【ピアノ演奏温故知新】第20回パーシー・グレインジャー

更新日:2021年8月24日

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第20回はオーストラリア初の世界的ピアニストで作曲家であった『パーシー・グレインジャー』をご紹介します。



パーシー・グレインジャー(1882~1961)

グレインジャー
 

略歴

1882年オーストラリアのメルボルン近郊のビクトリア州ブライトンに生まれる。

1887年に母ロウズから5年間ピアノの手ほどきを受け。その後ルーイ・パブストに習う。

1894年メルボルンでピアニストとしてデビューする。

1895年にドイツフランクフルトのホーホ音楽院でジェイムズ・クワストにピアノを師事。

1900年母と共にスコットランドへ赴く。この時グレインジャーが作曲における唯一の師と呼んだカール・クリムシュと出会う。

1901年ロンドンに移り本格的な演奏活動を始める。アメリカデビュー。

1907年ノルウェーのトロルドハウゲンにてグリーグと会う。作曲家の指揮のもとピアノ協奏曲を演奏する予定だったが作曲家の死により叶わず。またグリーグに影響を受け蓄音機を持ちイギリスの各地で民謡の収集を行う。

1908年スポーツブラジャーを発明する。

1914年第一次大戦勃発に伴いアメリカへ移住。1918年に市民権を得る。

1917年楽隊員として軍に入隊。オーボエとサックスを覚え1919年に除隊。

1922年母親が飛び降り自殺。

1928年スウェーデン人画家で詩人のエラ・ストロームと結婚。

1932年ニューヨーク大学の音楽学部長になる。翌年退任。

晩年は電子楽器の開発に協力し科学者バーネット・クロスと協力し自由音楽装置を発明する。この実験的な活動は1952年頃まで行われた。

1961年ニューヨークで前立腺がんにより亡くなる。(享年78歳)

 

グレインジャーの自作自演(無声映像に本人の録音を重ねたもの)

グレインジャー:マーチ=ジグ&シェパーズ・ヘイ

 

演奏スタイル

グレインジャーの演奏は非常に健康的で明るくエネルギーに満ち溢れています。特に自作の作品を演奏するとその瑞々しく活気ある音と自由闊達なリズムにより作品の性格も相まって非常に楽しいポピュラー音楽のような雰囲気をまといます。しかもクラシック作品においてもその個性は健在でバッハのオルガン作品やショパンの3番のソナタ、シューマンの交響的練習曲、グリーグのピアノ協奏曲では非常にスケールの大きい正統派の演奏を聴かせてくれます。

レパートリーは広くバッハから同時代の作曲家の作品まで弾いていたようです。録音は自作を多数遺しています。他にも数曲ですが大曲の録音もありグレインジャーの真価を聴くには十分な量が遺されていますが同時代の著名な演奏家に比べて録音量は少ないです。

 

第1楽章


第2楽章


第3楽章

作曲家本人が認めたグレインジャーのグリーグ

グリーグ:ピアノ協奏曲 Op.16

 

同時代の人物による評価

エドヴァルド・グリーグ(作曲家)

『私が書いたのはノルウェー人にさえ弾けそうもないノルウェーの農民舞曲だった。そこにこの若いオーストラリア人がやって来て、初めてそれらが弾かれるべき通りに弾いた。彼は本物の民謡魂を持っている。』


ヘンリー・T.フィンク(音楽評論家)

『30分もしないうちに、彼は批判的な聴衆に対し、彼がパデレフスキやクライスラーと同列の存在であることを納得させた。』


ハロルド・ショーンバーグ(音楽評論家)

『彼は鍵盤楽器におけるオリジナルの1人であり、独自のスタイルを作り上げ、驚くべき技術、個性、活力で表現したピアニストでした。』


 

グレインジャーの編曲で最も人気のある曲

チャイコフスキー=グレインジャー:花のワルツ

 

関連商品紹介

グレインジャー録音全集 稀少録音の数々

グレインジャーのグリーグ 伝説のコンチェルト

グレインジャーのピアノ作品集(楽譜) 難しい作品が多いですが派手で楽しいです

閲覧数:360回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page