【ピアノ演奏温故知新】第22回レオ・シロタ

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第22回はロシア生まれのブゾーニ門下の正統な後継者であり日本の音楽界に多大なる影響を与えたピアニスト『レオ・シロタ』をご紹介します。



レオ・シロタ(1885~1965)

レオシロタ

略歴

1885年ウクライナのキエフに生まれる。幼少期に自宅に下宿していたピアニストのミヒャエル・ヴィンクラーに手ほどきを受ける。

1894年にキエフの帝国音楽学校に入学。卒業後ペテルブルグ音楽院に進む。

1907年にウィーンのブゾーニの下で学び始める。

1909年にウィーンのベーゼンドルファー・ホールで演奏活動を本格的に開始する。

1918年オーストリア国籍を取得する。

1920年にアウグスティーネと結婚する。

1928年ソ連全土を回る演奏旅行を行い、極東のハルピンで山田耕筰と出会い日本への訪問を打診され、秋に初来日し日本デビューをする。

1929年ヨーロッパ帰還後、山田耕筰から演奏と指導の要請が寄せられ、家族と共に再来日を果たす。

1931年に東京音楽学校(現東京藝術大学)の外国人教師に就任。

1936年ヨーロッパへ演奏旅行へ出るがこれが最後のヨーロッパでの演奏となる。

1941年アメリカ旅行を行う、ナチス政権により国籍を剥奪され無国籍となる。

1944年戦争が進むにつれ外国人排斥運動が強まり東京音楽学校の職を追われる、外国人保護の名目で軽井沢へ疎開命令が下される。

1946年17年間住んだ日本を離れアメリカへ移住する。

1947年カーネギーホールデビュー。セント・ルイス音楽院で教鞭を執り始める。

1963年山田耕筰と弟子たちの要請にこたえ東京告別演奏会を日比谷公会堂で催される。

1965年肝臓がんによりニューヨークで逝去。(享年79歳)


レオ・シロタの十八番、世界中でこの作品を弾いて聴衆を圧倒した

リスト:モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の追想

演奏スタイル

シロタの演奏は真にロマン派的なヴィルトーゾといえるものです。近年の表面的な器械体操のような中身の薄っぺらいものではなく、圧倒的な技術はあくまでも音楽表現の手段であって目的になることは決してありません。端正で均整の取れた歌いまわしで美しく歌え上げるかと思えば荒波のような音の洪水で聴く者を圧倒する幅の広いスタイルを兼ね備えています。レパートリーも驚異的に広くバロック音楽から同時代の作曲家まで多くの作品を演奏したようですが遺された録音は非常に少なく、晩年のアメリカでの録音が大半を占めます。

友人であった山田耕筰の作品を演奏するシロタ

山田 耕筰:哀詩『荒城の月』による変奏曲

同時代の人物による評価

エトワルト・ヴァイスピアニスト)

『ブゾーニはいつもシロタを称賛していました。しばしば彼がいないことを寂しがっていて、シロタはヨーロッパの音楽的な中心で、より大きな名声を獲得できるだろうと考えていました。』


棟方 志功(芸術家)

『リストの曲は人神合致、湧然全妙と弾かれました

 先生もピアノもその音楽に包まれて仕舞いました

 感動の最高はすべて偉大と芸術の神聖に化されたのでした』


豊増 昇(ピアニスト)

『まことにシロタ先生の演奏は、ピアニストとしての力量をあますところなく発揮するという圧倒的な大音量の力演で、まったきその名レオのとおり、たてがみを振って立ち上がる、堂々としてすさまじい獅子のそれをおもわせるものがありました。』



シロタの弟子

松谷穣、長谷川米子(酒井優子)永井進、豊増昇、蔭山英子、藤田晴子、田中園子、アナトリー・ヴェデルニコフ、園田高弘 他

アルトゥール・ルービンシュタインを絶句させたレオ・シロタの超絶技巧

ショパン=ローゼンタール:小犬のワルツ

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