【ピアノ演奏温故知新】第9回ヨーゼフ・ホフマン

【ピアノ演奏温故知新】では過去の偉大なるピアニストとその奇跡的なピアノ演奏を数多くご紹介していきます。

第9回は完璧なテクニックと音楽性で一世を風靡した大ピアニスト『ヨーゼフ・ホフマン』をご紹介します。



ヨーゼフ・ホフマン(1876~1957)

ヨーゼフホフマン

略歴

1876年ポーランドのクラクフに生まれる。

7歳の時、神童としてヨーロッパを演奏旅行する。

1887年にメトロポリタン・オペラハウスでアメリカ合衆国デビューで一台センセーションを巻き起こした。

1892年アントン・ルビンシテインの唯一の私的な弟子となる。

1894年演奏活動を再開。

1926年フィラデルフィアのカーティス音楽院の院長に就任。

1930年代になるとアルコール依存症になってしまう。

1938年カーティス音楽院を退任。

1942年ニューヨークで最後の公演を行う。

1945年映画のサウンドトラックのためにセッション録音を行う、これがホフマンの公での最後のピアノ演奏となる。その後アルコール依存所が深刻化し晩年は世捨て人の様な生活を送る。

1957年ロサンジェルスにて死去。(享年81歳)

アルコール依存症が深刻化していた頃のホフマン、この映像が公で弾いた最後の姿

ラフマニノフ:前奏曲 作品3-2『鐘』

(使用ピアノはスタインウェイ)

演奏スタイル

ホフマンは最高のテクニックを持つピアニストとして有名です。指周りの完璧さはもちろん、音色のコントロール、とてつもなく広いダイナミックレンジ、巧みなペダルさばきと真にヴィルトーゾピアニストといえる人物です。

楽譜に対して非常に誠実に演奏しながらも、ライブでは時に燃え上がるような情熱を持って演奏し聴くものを圧倒します。このライブでの高揚感こそ『まるでベートーヴェンの様に演奏した』と言われる師アントン・ルビンシテインの気質を色濃く引き継いでいる部分の様に感じます。

同時進行に10のコンサートで250曲以上を弾くなどレパートリーは百科事典の様に広かったと言われています。しかしホフマン自身が録音を信用していなかったため遺された録音は限定的ですがそれでもこの偉大なピアニストの足跡をたどるには十分な量が遺されています。

ホフマン白熱のライブ録音

ショパン:アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22

同時代の人物による評価

セルゲイ・ラフマニノフ(作曲家、ピアニスト)

『アントン・ルビンシテインが亡くなって以来、私はホフマンのような巨人の様な演奏を聴いたことが無い。』


ハロルド・ショーンバーグ(音楽評論家)

『古典派の清らかさと、ロマン派の優雅さが混じり合った演奏。ゴドフスキーのテクニックを全て持ち合わせながら、さらに色彩感にあふれ、もっと情熱的である。貴族的な音の流れ、絶え間なく続く歌声の様な響き、そして、この世のものとも思えぬピアニッシモからピアノを飲みこんでしまいそうな猛々しい大音量まで、幅広いダイナミックス。それらが一体となって彼の演奏スタイルをつくりあげている。』


マリアン・ファイラー(ピアニスト)

『ポーランドのフィルハーモニーでの彼の最初のコンサートは、彼がどんなピアニストであるのか誰も知らなかったため、チケットは完売しませんでした。それから彼はショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏しました、すると私たちは一人残らずあまりの驚きに私たちの椅子から転げ落ちました…


ホフマンの格言

曲の解釈について

『音楽の真の解釈は、その音楽を正しく理解することから始まる。そして、正しい理解は、徹底して正確な譜読みによってのみ得られる。わざとらしくニュアンスを付け加えたり、陰影をつけたり、効果を狙ったり、演奏者自身が自分を故意にひけらかそうとするのは、にせものを作るに等しい。せいぜい天井桟敷の客に聴かせる程度の、まがいものだ。演奏家はつねに、書かれていることだけを弾いているという確信を持っていなければならない。』


ホフマンの弟子

シューラ・チェルカスキー、ゲイリー・グラフマン

ホフマンの自作自演

ホフマン:万華鏡

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